新社会人朝倉の知っておきたかった葬儀の知識

故人の旅立ちから見える人間関係

2016年07月23日
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社会生活を営んでいる人間にとって、人が亡くなるということは、単に人ひとりが旅立ちいなくなるということにとどまりません。残される家族にとっては、深い悲しみと苦痛を伴う出来事になり、故人にかかわった知人や友人においては、故人を通じて関係していた人たちとのつながりが、一時的にとはいえ絶たれるという出来事になりえます。つまり、人が亡くなるということは、そこでいったん故人とともに築き上げられたいた人間関係やそれにかかわる感情などがいったん終わりを告げるということでもあります。長寿社会になってきている現代においては、多くの人が長い寿命を全うすることが可能です。しかし、だからといってその旅立ちの悲しみが軽減されるわけではありません。

故人のと別れは、いつの時代も苦しく悲しいものであり、故人にかかわるすべての人たちの生活観や人生観に影響を与えることです。その別れを受け入れるために葬儀という儀式は設けられています。悲しみのさなかにあっても、家族を含めた残された人たちは、その出来事から日常に復帰し、故人のいない新たな生活を営んでいかなくてはなりません。そのため、ひとつのけじめとして故人が無事に旅立ってくれることを願い、また遺族も新たな生活を始めるのだという決意のもとに葬儀は営まれます。お葬式は残された人のためにある儀式だといえますが、現実的には故人の尊厳を守るため、その遺体の処理という側面も持ち合わせています。悲しいことではありますが、人は亡くなると一定時間が経過した後、その遺体は腐敗を始めてしまいます。

家族としてはいつまでも一緒にいたいと考えるかもしれません。しかし、人間も動物である以上自然の法則から逃れることはできないというのが現状です。ただ、人間は遺体を粗末に扱うことなく、故人の生前の人間関係や人柄を偲ぶ場を設けました。人が亡くなるということは、医師に臨終を告げられたからといってすぐに理解し、納得できるものではありません。それは社会的な人間関係が継続しているからであり、故人が亡くなったからといってそれがすぐに失われるものでもないからです。葬儀は、故人が亡くなったことを認識するためにある儀式だともいえるでしょう。故人にかかわる家族や友人、知人らがお葬式という場でその人柄や記憶を共有し、偲ぶことで、その旅立ちを納得する手助けとなります。

悲嘆の中にあっても、お葬式を執り行うことで故人の記憶を新たにし、故人が築き上げてくれたものにふれることができるはずです。

[参考サイトのご紹介]
大阪府の葬儀場・斎場・火葬場|葬儀・葬式・家族葬【公益社】
koekisha.co.jp/information/w_osaka
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